陶芸家 インタビュー
野想窯 田島健太郎
群馬県高崎市の箕郷梅林を進んだところに陶芸工房を構える“野想窯・田島健太郎さん”(以下:田島さん)
榛名山麓の小高い場所にある工房からは周辺の山々が見渡すことのできる、とても自然豊かな場所にあります。田島さんが陶芸家になったきっかけや、作品への想い、コーヒーの楽しみ方などをお伺いしました。
<Profile>
野想窯(やそうがま)
田島健太郎(たじま けんたろう)
1970年 群馬県生まれ
東京藝術大学美術学部(油絵専攻)卒業
同大学同学部修士課程修了
都内美術品オークション会社勤務
退社後2009年より、群馬県榛名山麓で作陶を開始
陶芸家になったきっかけ
―大学時代は油絵を専攻していたとのことですが、陶芸家になろうと思ったきっかけはなんだったんですか?
大学卒業後、都内の美術オークション会社に勤めていたのですが、その頃池袋のデパートに行った時に、たまたま骨董市をやっていまして。そこで萩焼(はぎやき)のぐい呑みのうつわに出会ったのがきっかけですかね。
その当時で確か、1万円くらいのものでした。うつわの裏を見ても名前が書いておらず、誰が作ったかわかりません。
骨董屋のおじさんが、「こういう器って、今までどれくらいの人が使っているかわからない。長く使い回して、使っていればいるほど価値がある。」って言っていました。
貫入(かんにゅう)と呼ばれる釉薬の表面にできるヒビが、あちらこちらにあって、本当に使っているなあと感じました。無名の作家さんが作ったもので、いつ作られたかも分からない。でも、それだけいっぱい使ってあっても、捨てられずに価値があるものとして扱われていたと言うことですよね。
それは、大学時代に油絵科で芸術の勉強をした時と全く違う考え方で、衝撃的でした。その衝撃が陶芸の道へ進む、一つのきっかけだったのだと思います。
芸術家とは違う世界
芸術家って自分の名前というか、人生の爪痕をなんとか後世に残したいみたいな…大学時代油絵を専攻している時もそういう活動だったので。音楽でも絵画でも小説でも…芸術家はどうしても自分の人生を作品にのせてしまいがちだったりします。
話は若干逸れてしまうですがこの間、谷川俊太郎(たにがわ しゅんたろう)さんという詩人の方のお話に感銘を受けたんです。谷川さんは最近、「音楽はハイドン(フランツ・ヨーゼフ・ハイドン)ばかり聴いている」とおっしゃっていました。
その理由が「ベートーヴェンやモーツァルトと、著名な作曲家はいるけれど、彼らが作った音楽には彼らの人生が感じられる。でも、ハイドンの音楽にはハイドンという人間はいない。ただ、音楽しか鳴っていないから、すごい気が楽なんだ。」と。
90歳を過ぎた谷川さんは、作家なのに最近小説も読まないそうで、“人生のいざこざが嫌だ”と言っていました。(笑)
改めてその時に僕も「自分の人生感じゃなくて、やきものが残ればいいんじゃないの。」って思ったんです。やきものもあまりにオリジナリティーを出そうとすると、使い勝手が悪かったり・・・邪魔だなって思うんです。
だけど、いざ自分が陶芸家をやると名前も入れてしまうし、「田島さんらしい、陶芸家らしさを出して」と言われることもあるので、どうしても出ちゃうんですけどね。(笑)
今言ったことと、今やっている仕事が一致しているのか?と聞かれれば、矛盾しているかもしれないですけど。 ただ言えることは「芸術家とは違う“職人の世界”で、陶芸をしていきたい。」ということです。
ーそう言った想いが田島さんの作品には込められていたのですね。
田島さんの作品への想い
板谷波山(いたやはざん)という、映画になるほどの有名な陶芸家がいるんですけど、その人はロクロ師にロクロを引かせていたそうです。
その板谷さんのロクロを引いていたのは、現田市松(げんだ いちまつ)さんという当代随一のロクロ師でした。陶芸家である板谷さんは映画になるほど有名でしたが、その一方、現田さんは知っている人は知っていると言う、あまり表舞台には出てこなかった職人さんだと思います。
そういう名もない職人さん達に腕のいい人はたくさんいて、自分の名を残そうとしてやっているわけではないんですよね。
もともと民藝って作家性がないから価値があるというもので、作家性をなくすところに民藝があります。本来は民藝は農閑期にお百姓さんが作ったりしていたもので、芸術だと思っていないんです。なので、民藝の作家っていうと矛盾があるんですけどね。
だから僕も作品を作るときは「見た目より内側の方が大事。」と言う、基本を忘れたくないと言う想いがあります。
ちょっと話が逸れてしまって陶芸家になろうと思ったきっかけ以外のことも話してしまいましたが…でも、陶芸家になろうと、きっかけになったぐい呑みはあるので良かったら見ていってください。
ー陶芸家として活動している田島さんだからこそ、お伺いできる大変素敵なお話でした!ぜひ、そのぐい呑みも見てみたいです。
骨董品との付き合い方
こちらが先ほどお話しした萩焼のぐい呑みです。手前のものが先ほどお話ししたもので、もう一つの方は後からどうしても欲しくなって買ったものです。江戸時代頃のものなので、私のもとにくるまでに何十人という酒飲みが愛したってことですよね。
ー貫入がたくさん入っていますが、それだけ大切に使い込まれてきたのが伝わりますね。
そうなんです。骨董品を買うときは「何か1個手に入れるときは、何か1個手放す。」そういう風にしています。買って自分のものにすると言うよりは、次に預かる人の仲介役という感じだと思っています。いつかは売りに出して、次に使う人へ託す。だからこそ使わないと勿体ないし、大切に使う。そういうものだと思います。僕はなかなか手放さないんですけど。(笑)
陶芸家田島さんのコーヒーの楽しみ方
ー田島さんは普段ご自宅でコーヒーを楽しむとき、どんなうつわを使っていますか?
今使っているうつわは主にこの二つです。
左側の白い方はまだ弟子の時に作った若作で、使い込んでいてコーヒーの渋がいっぱいついて、骨董品みたいになっちゃってますね。(笑)
右側のものが大和灰で作ったうつわなのですが、焼くときに釉薬が棚板にべたっとくっついてしまった不良品のものです。家で使っているうつわは不良品になってしまったものが多いですね。
大和灰で作ったうつわは濃い色のコーヒーがすごく合うんですよ。唇が触れた時の感触も気に入っています。コーヒーを飲むときは薄い飲み口より、厚めが好きです。
今は白い方のカップをお茶、大和灰のものがコーヒーっていう感じになっています。最初は白い方のカップも柔らかくて好きだったけど、やっぱり色々使っていくうちに変わっていきました。
お話がひと段落したところで、田島さんはコーヒーを振る舞ってくれました。黒く重厚感のあるミルでコーヒー豆を挽き、ハンドドリップで手慣れた様子で淹れてくれました。
ー手にやさしく馴染み、口当たりもとても滑らかでコーヒーがスッと口の中に入っていきますね。
今まで湯呑みを作っていたのが長く、湯呑みを作っていたときの癖が抜けていないのかもしれません。お年を召した方が使っても落とさないように、くびれたり膨らんだり…手からスルッと落ちないように気をつけて作っていました。
ー取手を持たなくても手馴染みがいいのは、そう言うことだったんですね。飲み進めるとうつわの内側とコーヒーの色が混ざり合い、琥珀色のようにとても綺麗な色にでした。
ー普段とはまた違ったコーヒーの楽しみ方、特別なコーヒー時間を教えていただいたように思います。田島さん、特別なお時間をありがとうございました。
野想窯・榛名山麓陶芸工房
平井敦・田島健太郎 二人展
大和屋高崎本店、陶芸館2階にて陶器の田島健太郎さん・木漆作家の平井敦さんによる二人展が開催されます。
食器類を中心とした陶磁器とカップ・テーブル・椅子等の木漆作品を展示販売いたします。お二人の温もり溢れる作品をどうぞ会場でご覧ください。
会 期:2022年4月8日(金)〜4月12日(火)
出展者:田島健太郎(陶磁器)・平井敦(木漆)
時 間:9:30〜18:30
場 所:大和屋高崎本店 陶芸館2階
〒370-0075
群馬県高崎市筑縄町66-22