小栗公ゆかりのご当地珈琲新発売!小栗公珈琲ー幕臣ダークローストー

2026年7月31日(金)より、「小栗公珈琲ー幕臣ダークローストー」の販売を開始いたしました。

日本の近代化に尽力し、「明治の父」とも称される小栗上野介忠順(おぐりこうずけのすけ ただまさ)。遣米使節として世界を巡る中で、現地のコーヒー文化に触れたとされています。異国で味わった一杯は、彼にとって未来を見据えるうえでの小さな手がかりとなったのかもしれません。

「小栗公珈琲」は、そうした史実に着想を得て、当時の味わいを大和屋珈琲ならではの解釈で再現したものになります。

今回、どのようにして小栗公珈琲が誕生したかその背景をご紹介します。

高崎にゆかりの深い小栗上野介

小栗公は文政10年(1827年)、神田駿河台(現在の東京都千代田区)で旗本の家の長男として生まれました。若くして才覚を発揮した小栗公は、井伊直弼に見いだされ、日本初の遣米使節の※目付( 監察官)に任じられました。

※目付( 監察官):江戸幕府で役人や大名の行動を監察し、不正や規律違反がないかを監視する役職。幕府の秩序を維持する重要な役割を担っていました。

「ポウハタン号の模型写真(東善寺所有)」
「小栗上野介がアメリカから持ち帰ったネジの写真(東善寺所有)」

1860年、日米修好通商条約の批准書交換のためポウハタン号に乗ってアメリカへ渡り、その後はアフリカやアジアにも足を延ばし、約9か月にわたって世界を視察しています。こうした経験を携えて帰国した小栗公は、視察で得た知見をもとに外国奉行・勘定奉行など幕府の要職を歴任し、横須賀造船所の建設や西洋式火薬工場の整備、フランス式軍制の導入など、数々の政策やインフラ整備を推し進めました。これらの取り組みは、日本の近代化に大きく貢献するものとなります。

「築地ホテル館の写真・絵(東善寺所有)」
「築地ホテル館の写真・絵(東善寺所有)」

小栗公が建築を主導した築地ホテルは、江戸時代の最末期(1867年8月着工、1868年8月竣工)、築地に誕生したホテルです。日本人の手で初めて建造された、日本で最初の本格的ホテル。西洋料理のレストラン、シャワールームや洋式トイレ、そのためのボイラーや給排水設備を持った近代的な建物でした。

しかし、明治元年となる1868年、大きな転機が訪れます。

明治維新によって江戸幕府が倒れると、小栗公はすべての職を解かれ、「逆賊」として追われる身となりました。失意の中、妻子や家臣とともに小栗家の領地の一つである現在の高崎市倉渕町権田へ身を寄せます。山あいの静かな暮らしにわずかな安堵を見いだしたのも束の間、情勢は再び急変し、新政府軍によって不名誉な罪を着せられ、無念のうちにその生涯を断たれることとなりました。

「小栗公が実際に住んでいた当時の東善寺本堂(東善寺所有)」

歴史の表舞台では長く「明治維新の敗者」と語られてきましたが、近年はその実績が見直され、「近代日本の礎を築いた真の立役者」として再評価が進んでいます。その歩みを静かに伝えるように、権田の東善寺に佇む墓は、小栗公の志が今も息づいていることを物語っています。2027年放送のNHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』では、日本の近代化に尽力した小栗公の物語に、改めて注目が集まります。

小栗公とコーヒーの出会い

アメリカ独立戦争の火種となった1773年のボストン茶会事件をきっかけに、植民地社会では紅茶をはじめとするイギリス文化への反発が一気に高まりました。その流れの中で、人々の嗜好は紅茶からコーヒーへとうつり変わり、コーヒーは「新しい国家を支える愛国の象徴」として受け入れられていきます。政治的な意味合いを帯びながら日々の暮らしに根づき、アメリカ人の自立心を支える存在となりました。紅茶の名残から薄めのコーヒーが

好まれ、これが「アメリカンコーヒー」の原型になったともいわれています。19世紀の近代化とともに、コーヒーは一層広まっていきました。

こうした背景の中で、小栗公もまた、渡米の際にコーヒー文化と出会うことになります。当時の日記には、ワシントンD.C.のウィラードホテルで提供された昼食のメニューが記されており、鶏のスープ、牛乳、パンと並んでそこには「コーヒー」の文字があります。異国の食事にそっと添えられたその一杯は、コーヒーがいかに日常に根づいていたかをものがたり、小栗公の目にも深い印象を残したことでしょう。

深煎りのはじまりを辿る

19世紀のアメリカでは、南米ブラジルから多くのコーヒー生豆が輸入され、日常の飲み物として広がりつつあったアメリカのコーヒー消費を支えていました。やがて消費の急増に伴い、ブラジルに加えて、地理的に近い利点からカリブ海のハイチやキューバ、中米のコスタリカやグアテマラなども輸出国として存在感を高め、アメリカにとって欠かせない供給地へと成長していきます。

ただ当時は、輸送や流通体制が未発達で、保存方法や焙煎技術も十分ではありませんでした。そのためコーヒー豆は劣化しやすく、品質を保つことが難しい状況にありました。こうした欠点を補うために深煎り(ダークロースト)が用いられ、そのような理由から、

“濃厚で、強い苦味と香ばしさ”が当時のコーヒーの特徴となったと考えられています。

大和屋珈琲の技術で紡ぐ、往時の味わい

アメリカで広く飲まれていた味わいを再現するため、豆の選定から味づくり、焙煎まで細部に至るまで丁寧に仕上げました。そのひとつひとつの積み重ねが、

「小栗公珈琲」ならではの奥行きある味わいを形づくっています。

使用する原料には、当時もっとも一般的であったブラジル産コーヒーを使用し、さらに当時のアメリカと同じくダークローストに仕上げることで、深煎りならではの力強いコクと苦み、そして香ばしさを引き出しています。深煎りを得意とする大和屋が創業以来培ってきた木炭焙煎の技術が、ここでも存分に活かされています。こうして生まれた唯一無二の味わいと幕末の息吹を、ドリップパックに閉じ込めました。その一杯には、小栗公が渡米の折に触れたとされる“アメリカのコーヒー文化”が静かに息づいています。

― 深煎りの力強さと、軽やかなアメリカン。 ― 

この後、“あの当時の味”を二通りの飲み方でご提案します。激動の時代を生きた小栗公に思いを重ねながら、歴史の余韻に浸るひとときをお楽しみください。

梅の木を使用した“高崎らしさ”

大和屋が木炭焙煎にこだわる理由―それは日本の食文化に根ざしています。かつて日本の台所では、かまどに薪をくべて米を炊き、肉や魚も炭火で焼くことで、より深い旨みを引き出

してきました。炭火に親しんできた日本人ならではの嗜好に着目し、大和屋は創業以来、職人の手で木炭焙煎技術を守り続けています。火加減を見極める職人の勘は、機械では置き換えられない大和屋の要です。

この「小栗公珈琲」には、高崎・箕郷産の梅の木を再利用した“梅炭”を、焙煎の熱源として用いています。上品な香りと美しい花を咲かせる箕郷梅林は、古くから梅の名産地として知られ、市民に親しまれてきました。約10万本におよぶ梅林は関東随一の規模を誇ります。梅の木は果実だけでなく、伐採後も梅炭として生まれ変わることで、新たな価値を生み出します。梅炭は火力の調整が難しく、大和屋にとっても初めての挑戦です。

しかし、梅の木を再利用することで、地域資源の循環にもつながり、何より『高崎らしさ』を感じていただけると考えました。小栗公の志に倣い、新たな焙煎と味づくりに創意工

夫を重ねて生まれた一杯。それが、“小栗公ゆかりのご当地珈琲”です。

二通りの味わい、御座候。

当時、親しまれていたアメリカのコーヒー文化に倣い、二通りの味わいでお召し上がりいただけます。味わいの違いにより当時の情景を感じ取れるように、飲み方を再構成しました。異なる表情が映す、歴史の一場面を重ねてお楽しみください。

壱 幕末を偲ぶ、深煎りのコクと苦み  

ゆっくりとお湯を注いで抽出したカップ一杯分のコーヒーを、まずはそのままブラックで。時代のうねりに翻弄されながらも、激動の幕末を生き抜いた小栗公。その歩みに思いを馳せつつ、深煎りならではの濃厚なコクと苦みをご堪能ください。

弐 新時代を切り拓く、軽やかなアメリカン

半量ほど味わった後、お湯で割ると軽やかなアメリカンに早変わり。深煎りならではの豊かな香りはそのままに、苦みが和らいだ、すっきりとした後味が広がります。その余韻は、小栗公が夢見たであろう新時代の幕明けを思わせる、晴れやかで爽快なイメージと重なります。

商品情報

<商品名>

小栗公珈琲 幕臣ダークロースト

<価格>
ドリップパック 1枚 210円(税込) ネットショップで購入>>
ドリップパック 4枚入 891円(税込)ネットショップで購入>>

<発売日>
2026年7月31日(金)〜

<コーヒー豆詳細>
生産国:ブラジル

<販売店舗>
・大和屋直営店
 大和屋高崎本店 / 高崎吉井店 / 前橋六供店 / YAMATOYA COFFEE 32
・大和屋ネットショップ https://www.yamato-ya.jp/ 

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